すし まぐろについての記述

お目当ての「つく田」で供された寿司は、ひとつひとつが逸品だった上に、店主の松尾雄二さんとの寿司談義が愉しかった。
考えてみると、寿司を振る店主または職人さんとそんなに話をしたことがない。
「目の前でネタを扱っているのですから、あまりおしゃべりしてツバが飛んだりしたら困るんです」それにしても、口数が少ない人が多いし、なかにはこわい人もいる。
「他の料理人と大きくちがう点は、全てを客に見られていることです。
ネタから振るところから自分自身まで。
だから、作るだけでなく、演ずることも求められている。
こわい顔をするのも、そういう演技のなかの型のひとつだと思いますよ。
とにかく、あまり出しゃばらず、しかし無愛想でもなく、ほどの良さを保つのはむずかしい」近ごろは料理している姿を見せるカウンター主体の店やオープンキッチンのレストランが流行しているが、寿司ほど昔から徹底して客に供する過程の全てをさらしている業種は珍しい。
それだけではない。
「半分以上は地の利です」と松尾さんは遠来の客を惹きつける魅力と名声の理由を謙遜して説明するのだが、いくら唐津が新鮮で豊富な魚介類に恵まれていても、それだけでは名だたる「鮨処」は生まれない。
新鮮さを売るだけなら、ただの磯料理である。
寿司と天ぷらは日本料理のなかで、家庭では最もプロなみの〝再現″がむずかしい。
そして今や、sushi、は、「華道」、「茶道」に続く、日本発の世界に拡がる文化となった。
いや、生け花や茶の湯がごく一部のエリート文化人にしか受容されていないのに較べると、その波及ぶりは、はるかに一般的、大衆的である。
寿司と蕎麦,そして「地産地消」これは食の思想から言えば「革命的」なことであると私は思っている。
人類みな花を愛でる心情はあり、緑茶でなくとも飲みものをたしなむ習慣(たとえばイギリスのアフタヌーンティーのように)はある。
それを「アレンジメント」や「セレモニー」の域に昇華させたところに日本文化の〝冴え″があるとはいえ、基本は人間みなやりたがることであって、その点では特異なことではない。
ところが、食の歴史と、それを支える思想の主流にひどく逆らっているのが日本料理、なかでも寿司なのである。
火を使いこなすことで、人類は他の動物と隔絶した存在となった。
当然、生の素材をそのまま口にするのではなく、焼いたり、煮たり、蒸したりすることを習得する。
さらにはさまざまな調味料を用いる工夫が加わる。
そういう営みのなかから、一種の〝進歩史観〟が生まれる。
素材そのままを食する「野蛮」から、加工の妙を施すほど「文明」の城へと進んでいく、というとらえ方である。
その頂点として、西のフランス料理、東の中華料理が位置付けられるようになる。
生ものは腐敗が進みやすいという実際的な理由もあった。
ところが、私たちのご先祖は高温多湿のモンスーン地帯に在って、素材そのものをそのままいかに活かして食するかに涙ぐましいほどの努力を傾注する。
たとえば、寿司の語源である酢を用いて腐敗を防ぎ、江戸前の特徴である〝漬け″の工夫をし、冷蔵庫のない時代にネタを入れたザルを深井戸に釣り下げたり、米ぬかにくるんだりした。
加工すればするほど「文明」が進む、という〝単線的″な史観から言えば、これは「野蛮」への執着である。
料理ということではほとんど実績も名声もないアメリカ人(「アメリカ料理」なんて聞いたことない)が、敗戦後の日本にやって来て「生の魚(刺し身)を食う民族」にいかに軽蔑と嫌悪を示したかを個体体験として私は知っている。
ずっと後になって、当代一のフランス料理人と言われた人物とインタビューしたことがある。
彼はこうした進歩史観に絶大な自信を持ちながらも「では日本料理は野蛮の域か」と私がたずねたら「これは文明の例外だ」と答えた。
そのころから始まったフランス料理の〝革命″(ヌーベル・キエイジーヌ)は日本料理からの多大な影響を受けている。
上海で本場の中華料理に舟造りの刺し身がどかんと出てきた時は驚いたが、その後、これは中国でかなり定番化しているという。
「緩急自在フード」二〇〇七年に私たちの国は「大定年時代」を迎える。
寿司と蕎麦,そして「地産地消」戦後のベビーブーム時代に生まれ、この国の人口構成を提灯状にふくらませている、いわゆる団塊の世代の中心が定年になるからである。
ライフスタイルから消費性向まで、戦後社会はこの世代の動向によって変化してきたと言われるだけに、それで何が起きるか、今からいろいろな論議や予測が出ている。
そんななかで、同じ団塊の世代に属している女性の友人がズバリこう言った。
「NPO人間と〝蕎麦打ち男″がどっと増えるわよ」どちらも先駆的現象はすでに始まっている。
企業や組織など「営利」を昌的とした場所(PO)に長年、身を置いた人が「非営利」の活動(NPO)をしたいと考えるのは自然だろう。
が、後者(蕎麦打ち男)についてはやや注釈が要る。
「どこの蕎麦屋がうまい」といった、ひいきの店談義はグルメ流行りの裾野の話にすぎないが、それが昂じて自分で蕎麦を打とうとするのは、どういうわけか男が多い。
それもやたらに凝り性になる人が多い。
用いる蕎麦粉から「だし」「器」「道具一式」にいたるまで、こだわりだすとキリがない。
定年を待たず、脱サラして蕎麦屋を閑いたという人たちも、全国各地に点々と存在する。
代々、家業として蕎麦屋をやってきた主人から打ち明けられたことがある。
「他の食べもの屋は、素人がいくらがんばっても玄人には敵わないと思いますが、蕎麦だけはちがいます。
素人が本気になったら、プロは負けます。
商売のことを考えたら、あんなに手をかけたら採算がとれませんから」素人でも到達できる蕎麦作り、とても無理な握り寿司、というちがいはあるが、ともに日本人にはなじみの深い料理。
もうお気付きと思うが、ともに和製ファストフードでもある。
それに、蕎麦はもとは和製スナックでもあった。
一日二食が普通だった時代にうなぎの食べものとして生まれたという。
だからといって、それを排撃する「スローフード論者」がいるとは思えない。
「スロー」の効用を唱えている私自身が蕎麦と寿司の大の愛好者であり、よい店があると開くと万障繰り合せて飛んで行く。
それに蕎麦も寿司も、実はスローもフアストも兼ね備えた「緩急自在フード」なのだ。
時間がない時に手早く腹を満たすことができることではフアストだが、蕎麦屋も寿司屋も、その気になればゆっくり酒食を楽しむ恰好の場所でもあるからだ。
好みの魚介を文字通り肴にしながらの一献もよいが、蕎麦屋で、それも昼日中の日本酒というのが少々、背徳的な感じがあってまたよい。
と思っていたら、蕎麦自体が日本酒の肴としてとても合うのだと通の人に教えられた。
では、スローとフアストが必ずしも「食」を分ける対立軸でないとしたら、何がちがうということになるのか。
前章に続いて、「一元論からの脱却」を私は持ち出す。
何事も、黒か白かで決めつけるのをやめようよ、という態度のことである。
同じくファストフードでも、世界規模でチェーン展開して、いつでもどこでも均質のものを提供しているのと、松尾さんのようにカウンター七席だけで自営業なのとのちがいがあるだろう。
規模の「大」「小」と言ってよいだろうか。
次には、そこで供される食材の「正体」の判明度によるちがいがある。

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